NewLife,NewSelf



「わたしって、何? 
生きるってどういうこと?」


愛でよ 歌えよ 咲けよ

その心に一片の曇りなし 一切の迷いなし 一滴の憂いなし

愛でよ 歌えよ 咲けよ

その生に千遍の叡智を 万遍の息吹を 億遍の響きを






あなたは人間ではありません







「わたしは無条件の愛と魔法の空間そのもの」
自然なる歓喜(感謝)&大好きの世界

写真の説明を入れます

「わたしの純粋にうれしい思いが循環する いのちの花を咲かせましょう。個の花、咲くや」








「音楽って ときめき きらめき ひらめきの連続みたい! そんなふうに 生きてみよう!」



汝自身を知れ

うれし たのしのアマ(天)の気満ちて

ぬし(主)の好きな 春じゃのぅ

すべてぬしの内から湧き上がる

ここは常若(とこわか)の国、君が代



むすひ むすひ… 結び 産霊 アマ満ちる世界

アマは天の気 すべての気の元 艶やかで 細(独楽)やかで

生命力に満ちた 軽やかな 光輝く神のエネルギー 

「ありがとう」の気(粒子)じゃ



この新しい生命空間で

数多(あまた)の陰陽は自然に結び合い 偏った重力から解放され 軽やかなアマ(天)の光に還る

同時に神世(目に見えぬ世界)と人間(目に見える世界)が結ばれる



この深い愛の地 新しい生命空間こそが ぬし そのもの

ぬしの うれしい思いが現象化する

陰陽結ばれるエクスタシー

最高に気持ちのいい自己を表現するエクスタシー



ぬしは神 ぬしは人を表現する



わたしの歓喜(よろこび)の花が いま開く

わたし自身いのちの花が咲いておる。美しい見事な花じゃ。個の花、咲くや



よう、おじゃった

ご あ い さ つ ✿ も く じ
輝いている未来照らす光 ✿汝自身を知れ。「私」から「わたし」への移行
生まれてはじめて✿2008年7月9日・わたしの記念日―光の体験
人間の住む国で観たいな✿神性と人間の統合―無条件の愛と自我たち
どんなときにも君を癒して輝きの溢れる場所へ✿気づきが深まれば、深まるほど
高く高く飛べるの いまあなたと二人で✿神の正体・素粒子の回転を安定させろ・澄み切る
夢はかなうもの✿すでにそうである深い愛、ときめきが溢れる世界
優しさが開いてく愛の扉✿超一流の遊び人
●プロフィール
◎古いエネルギー・世界からの卒業
☆一目瞭然◎古いエネルギーと新しいエネルギーの違い

✿2008年光の体験への序章―汝自身を知れ

輝いている 未来照らす光

夢を叶えた 特別な夜

塔の上のラプンツェル 「輝く未来」より


こんにちは。晏(あん)れい子です。

「よう、おじゃった」

この現代では聞きなれないことばの響きを受け取ったのは、2009年だったか、2008年だったか、実際にわたしがある外神宮に訪れたときに、ふいに響いてきたことばです。

その神宮には、ある朝、突然思い立ち、咄嗟に行ったのですが。本当にその神宮に関連する神社にても様々な不思議な体験をしました。参拝時に思わず込み上げてくる母(光の縁の母)を呼ぶ感情、胸に突然温かい光が飛び込んできたような感覚など、ここでは、その神宮の名前を出すのは伏せますが、なんとなくお分かりになる方もいるかもしれませんね。

そのことばには、本当にいろんな思いと、光の縁があったことを、いまになってハッキリと感じているのです。

以来――、このような古い人のようなことばが湧いてくるようになったのです。

神社には2007年の厳島に行くまで、一度も訪れたことがありませんでした。それが、これからお話する2008年の光の体験後は、いくつかの神社に訪れることになりました(最近は、近所のお気に入りの神社に訪れるくらいになりましたが)。その際、本当に、待ち構えていたかのように、不思議と道案内人が出てきて、いまから思えば、普通には知り得ないようなことを教えてくれたりもしたものです。

この光の世では、 予測していないことが起こるものです。光の縁は、まことに、うれしく、きらめく光・奇跡そのものです。

「むすひ」ということばもそうです。このことばを知ったのは、この下のブログのヘッダーの絵を創っているときでした。

夢中で創っていると、

(むすひ、むすひ…)

そう呼びかけられた気がしたのです。むすひ…? なんだかヘンな響きだなと思いながらも、気になり、ネットでそのことばを調べてみたのです。「あるわけないよね」と思いながらも。

けれども、あったのです。

「むす(産)」は「うむす(産むす)」の「う」が取れたものとされ、自然に発生するといった意味がある。「苔生す(こけむす)」の「生す」も同根である。「ひ(霊)」は霊的・神秘的な働きのことである。神道においては、万物は「むすひ」の働きによって生じ、発展すると考える。造化三神の中にタカミムスビとカミムスビの2神がいる。タカミムスヒはアマテラスが天岩戸に隠れた時に諸神に命じてアマテラスを帰還させており、カミムスヒは殺されたオオナムヂを蘇生させている。これらのことから、むすひの神には衰えようとする魂を奮い立たせる働き(すなわち生命力の象徴)があるとされたことがわかる。

(wikiより一部引用)

それを観たときは驚きました。

つまり、万物を産み出す霊力、神のことを言っていたのです。

そう、わたしたちの正体は、実は人間ではありません。

地球では神と名称をつけられた、光なのです。

あなたという光が人間という肉体を、キャラクターを表現しているのです。

もっと正確に言うならば、あなたは、「無条件の愛と魔法の光空間」そのものなのです。もう少し、先を読み進めていただければ、ご理解していただけると思います。

わたしたちは、目に見えぬものとテレパシーで話すのは自然なこと。

わたしは小さい頃から、いろんなものを目にし、いろんなことばを耳にしてきました。

わたしには、とても優しくも厳しい目に見えぬガイドがいるようで、こっぴどく叱られたこともあります。人間に叱られるより、怖いのです。何しろ、何が飛んでくるか分からないので(それほど、わたしがやんちゃだったということですが。人のせい、世間のせい、親のせいにして暴れる←荒ぶる神? 笑)。霊感の鋭い方には、その存在が観えるようで、「あなたのガイドはとても厳しいわね」と言われたことも度々です。

けれども、日常生活のなかで目に見えぬ世界のことを話すことは、ありませんでした。「頭がおかしい」と思われることが、わたしにとって、最大の恐怖だったからです。過去、そうしたことを世間に合わせて否定したり、疑ったり、目に見えない世界のことはないことにしようとしていました。

それはとても窮屈でしたね。

いまではもうこの目に見えぬ光の世界が当たり前に。わたしと同調する周波数の存在たち、光の存在たちと、常に共にあることを感じています。

夢のなかで、ある一冊の本を読んだこともありました。

フラッシュのように眼の前に光がパンッ! パンッ! パンッ! と現れ続け、その本を読み終わると、

「生きるとは、こんなにも簡単なことだったんだ…!」

そう感動した覚えがあります。その本の内容は、当時は、起きるとすべて忘れていたのです。たったひとつだけ覚えていたこと。それは「生きるとは、こんなにも簡単なことだったんだ」。それだけでした。

いま、その答えは知っています。

――感じることがすべて。愛の世界は、感じる世界。感じていることが現実になる

この簡単な世界への移行。それが本当の世界だったのです。

これから、わたし自身が体感し、発見してきた、その仕組をお話していこうと思います。

新しい生命体であり、最高にうれしい自己を自然に表現している世界への移行を。

移行する――、こんなことばを使ってきましたが、いまとなっては、わたしはずっとそうであったと感じているのです。

この世界を目指すのではなく、すでにそうであったという感覚を取り戻すことがキーなのですが。

少し長くなるかもしれませんが、 「本当のわたしである、本当のわたしを生きる」のはどういうことか、あなたの疑問が晴れていく一助になれば幸いです。



まずは、わたしがこのようなことをするようになった経緯をお話しておきますね。

すべてが自然な流れで、いいえ、自然の流れにときに抵抗しながらも、やはり自然のままに本当のわたしに導かれてきたように感じています。

実のところ、このような仕事をしようと思ったことは、一回もありませんでした。なんだか自然な流れで、こうなってしまったというのが、本当のところです。気づけば、こうなってたというのか(笑)。

よく願望実現と言いますが、頑張って、頑張って何か目標を達成しようとする世界のセオリーとは違う流れのままに。これが新しい世界の現実創造なのだと気づくのは、これからお話する2008年の光の体験後、しばらく経過したあとだったのですが。

わたしも、あなたと同じように、いろんなことに悩み、その苦しみからどうやったら逃れられるのか――? それを探していました。

幼い頃から、この世はなんだか窮屈なところだと感じ、たくさんの違和感を抱いていました。

本当に窮屈でした。

そして、いつも疲れていたように思います。

肉体的にも精神的にも重かったのです。本当の自身を見失い、数多の自我と同化していたのですから。それは当然なことなんですね。

また、目に見えぬものの存在、理屈では説明できない体験も多々ありましたが、

決して、それを口外することはありませんでした。先ほども言いましたが、「頭がおかしい」と思われるのが怖かったからです。

その辺りのことは、「Over The Rainbow」で詳しく書いてありますので、よかったら目を通してみてください。いろんな体験をしていますが、そうした体験がなければ、わたしはこの状態を望むことも、深い豊かさも感じられなかったでしょう。(すみません。2023.3.19現在、改定中です。いましばらくお待ちください('◇'))



わたしが新しい世界を観た、いいえ、はっきりと体験し、確信したのは2008年のこと。

ふいに、「ありがとうと思えることに、ありがとう」と言ってみようと思いつき。

なぜかそうしたい、なぜかいまがそのときだという衝動にかられたのです。これでダメなら、本当に死のうとさえ思っていました。それほどに、本当に生きることを無意識に求めていたのですね。

不思議と、毎日、そうすることで自然に落ち着き、楽しくなっていき、ありがとうを探すのがうれしくなっていったのです。

そのうれしさ、心地よさが、幸せな気持ちが、この自然に生き生きとした光の世界への扉だったことに、そしてこの「ありがとう」こそが宇宙最強のエネルギーだと、のちに気づくのです。先ほどもチラっと触れましたが、さらにその詳細を早く語りたいのですが、

まずは、2008年の時点に戻りますね。

「ありがとうと思えることに、ありがとうを言う(心のなかでも)」、それはいつしか、手があること、動くこと、脚があること、歩けること、 身近な些細な出来事からはじまり、風や樹々、鳥たち、宇宙にも広がっていったように思います。

それまでのわたしからは考えられないほど、本当に穏やかで、うれしい日々が続きました。

3か月ほどたったある日。

2008年7月4日。日付をいまでも覚えているのは、それほどにわたしにとって記念すべき日だからです。

正確には、2008年7月9日の光の体験、本当の世界への序章だった日です。

その日、わたしは、当時カウンセリングと並行してしていた、化粧品の雑誌タイアップの仕事の打ち合わせのために電車で移動していました。

車窓を眺めながらぼーっと座っていると、ふと、こんな図が浮かんだんです。

中央に大きな○。その周囲に無数の〇が散らばっている図が。

瞬間、思わず席を立って、小踊りしたくなるほどのよろこびが体中を駆け抜けました。

なぜなら、それこそが、『本当のわたしと、自我の私の図』を示したものだったからです。

ちなみに、ここでは新しい神(光)の生命空間を「わたし」。数多の自我を「私」と表記しています。

――ああ、こういうことだったのか…!!

その図が示していることを、瞬時に理解しました。

真ん中の〇は、本当のわたし。

周囲に無数に散らばっているのは、いろんな経験をした自我の私。

この3次元での体験は、すべては、ただ単なる経験だった、と。

それは、本当のわたしと、数多の自我の私は別であり、単なるキャラクターであったことを知った瞬間でした。

そして、 とてつもない自由を感じたのです。

つまりは、この神の楽園から出て、歓喜(よろこび)以外の罪悪感や無価値観など、数多の分離(の周波数)を経験をしに行ったのが自我であり、それらは自分の好みを知るためのものであったと。

すべてはわたしが産み出した周波数(子供たち)であり、経験だったのです。

悩んでいる自分、苦しんでいる自分、罪悪感を抱いている自分…、そのすべては本当のわたしが創り出した私だったのです。ただ単に、それらと同化して、苦しみを、願いがなかなか叶わない自分を、いろんな自分を経験していただけなのですから。

それらはすべて光の叡智として、貴重な経験として存在し続けるのです。わたしの空間で。 このすべてを周波数で観ている状態は、本来のとても高い周波数で、まさに愛の光の、神の視点。無条件の愛の視点です。

それらをジャッジすることのない、いろんな自我をそのままに愛でている状態です。

よく感じ切るということを言いますが、これは愛し切るということ。

無理に頑張って、許そうとか、受け容れようとかするものではありません。それは古いマインドの世界のことです。

感じるとは、愛そのもの。

愛の位置にグラウディングすることがすべてなのです。もともとのエネルギーに戻ることが。

ここでは、 それらすべての経験が光の叡智となり、「無条件の愛のわたしの空間」で輝いているのです。だからこそ、経験を生かすことができるのですね。

アセンデッド・マスター・聖ジャーメインが、こんな粋なことを言ったことがありました。



「わたしの空間は、わたしの美しい経験という光輝く絵画で彩られています」



彼は実際、奴隷の子供だった時代もあるそうですが、そうしたことも、すべてが光輝く経験であり、アートだったと言っているのです。

自分の価値を見失う経験さえも、本当の自分を思い出すきっかけとなったのですから。

まさに、無条件の愛の世界ですね。



ただ、すべてそれでいいと。すると、あなたは本来の愛の光の力をありありと取り戻し、好きな現象をますます遊ぶように体験していくことになります。

当時、こうしたことをブログに書いたときに、ある光の仲間(クライアントさん)に、

「そんなこと言う人、はじめてですよ」

そううれしそうに言われたことを、いまでも思い出します。それほどに、思わず浮かんだ「○」の図は、わたしにとっても大発見というのか、大きな気づきだったのです。

なぜなら、すべては私という偏った思い込みの自我がした経験であり、本当のわたしは汚れてなどいなかったのです。

過去、どこかで思い込んでしまったのでしょう。

(あんな経験をした私は汚れてしまった…。魂は傷ついて、ボロボロになっているのだから。何か特別なことでもしなければ、もう救われないのかもしれない)、と。

けれども、そうではなかったのです。本当のわたしは純粋でピュアなままだったのです(二重表現ですが)。

そして、愛、光が満ちる空間そのものだったのです。

偏った自我、それらは幻想であったと。

それらも光の世界では、わたしの空間では、すべて貴重な生かされる経験なのだと。

それらの経験をジャッジして、汚いもののように見ていた分離の世界は、自我の幻想であり、本当のわたしはそこにはいなかったのです。

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✿2008年7月9日・わたしの記念日―光の体験

生まれて はじめて 音楽にのり

生まれて はじめて 踊り明かすの

うれしすぎて わたし 舞い上がりそう!

もう一人じゃないの 夢のよう


アナと雪の女王 「生まれてはじめて」より


2008年7月9日。 その日の夜は、知人の誕生日パーティでした。

当時、仕事仲間に誘われアルゼンチンタンゴを習っていた関係で、知人が主催するパーティに呼ばれていたのです。

その日のために、ネイルをしたり、美容院に行ったり、ドレスを新調したりと、少しバタバタしながらも、そうした準備も楽しく過ごしていました。

仕事をして、少し遅いお昼ご飯を買いに行こうと、近所のスーパーまで歩いている途中、それは突然、起こりました。

突如として、多くの繊細な美しい光の粉が降りてきたかと思うと、

一瞬にして走馬灯のように数多くの経験が巡ったような気がしました。

何しろ一瞬だったので、あまりにも一瞬で、けれどもそれは膨大な情報で。

うまく言えませんが、 こう思ったのを、いまでも鮮明に覚えています。

――わたしは、なんて壮大なドラマを演じてきたんだろう!――

次の瞬間、周囲の景色を観ると、樹々たちが、道行く人たちが、すべてが光輝いていて、 これまで観たことがない美しい景色が拡がっていました。

これまでと同じ景色なのに、まったく違うもののように輝いていたんです。

本当にはじめて観る、美しい景色でした。

すべてが光輝き、なんと美しい世界…! と。

当時は何が起きたのか、まったく分からず。ただ、ただ、うれしい、正真正銘、歓喜(よろこび)の世界のなかにありました。その日、電車に乗っていることにも感動してしまうのです。

(電車に乗ってる! しかも、この電車、動いてる!!)

電車のなかで、あり得ないほど一人で感動していました。フロアの中央に仁王立ち状態で。もう、うれしくて、うれしくて。奇跡のように感じました。やったぁ! と叫びたいくらいに。ちなみに電車に乗るのは、すでにお分かりかと思いますが、はじめてではありません。なのに、はじめての体験のように思えたのです。

まるで地球に、この肉体にはじめて降り立った天使のように。その日のパーティでは、喋れること、踊れること、人の肌に触れられること、そのすべてがうれしく、楽しく。本当に笑いっぱなしで、飲めないシャンパンをしこたま飲んだにも関わらず、足取りは多分、しっかりしていました。あまりにもうれしくて、本当に楽しくて。


この写真は、少々、酔っぱらったわたしを友人が車で送ってくれる際に、友人の車の前に停まっていた車を撮影したものです。ナンバーは「1111」。

当時、「1111」という車のナンバーを、本当によく観ていました。光の体験をする数年前から。その日も、このナンバーを目にしたので、なんだか面白くて撮影したのです。ゾロ目のナンバーは、いまも当たり前のように眼にしますが、それはわたしが本来の光の状態であることを確認させてくれる天使たちのウィンク? うれしい合図のようなものだと感じています。

本当に、その日はすべてがファンタスティックで、 まるで、わたしの誕生日パーティのようだったかもしれません(笑)。

あの瞬間は、本当にシンデレラの変身シーンのようでした。あの瞬間のうれしさが、あの繊細な光が、宇宙そのもの、源の光そのもの、わたしそのものであったと本当に気づくのは、のちのことなのですが。


©Disney



いまとなっては、なぜそうなったのかが分かります。

周波数が変わったのです。

それまでマインド(偏った思考=自我)に同化し、曇った、鈍い周波数で世界を見ていたのが、 本当のわたしの眼で世界を観たのです。

苦しみは、その数多の自我に同化し、その自我がまるで本当の私のように勘違いしていることにあるのです。

「私はこういう人だ(私は○○だから、かわいそうな人、ダメな人)」と、頑なに信じ込み、その窮屈な、心地悪い数々の自分と同化して、常に、いい/悪いの戦いの世界にいる。

それが、 わたしの空間(世界)が一気に光に満ちたことで、数多の自我との同化が切り離されたのです。ジャーメイン流に言うならば、わたしの空間での美しい光輝く絵画の一枚一枚となったのです。

そして、本当のわたしの眼が開いたことで、世界が光に満ち溢れて観えたのですね。すべてはわたしの内側の投影なのです。周波数は変えられる。自由自在に。内側が光に満ちれば満ちるほどに。

そして、わたしが最高のフィーリングであればあるほどに、素晴らしい世界が自然に拡がるのです。

同時に、数多の「外をなんとかしようとしていた」自我との同化していたことに気づき、自然にその同化から自由になっていくのです。

この光の状態は、約10日間、続きました。

目に見えぬ存在とともにあることも実感し――、というか、あの光の体験のとき、わたしは一人ではなかったのです。多くの光の存在たちとともにあることをハッキリと感じていました。

まるで多くの光の存在たちが見守るなか、この肉体に降りてきたかのように。

ハッキリと感じたのは、 わたしの周波数が、光の存在たちと同調していたからです。

いらない荷物降ろしたら 歓喜(よろこび)だけが残った


以来、よりたくさんのメッセージを受信するようになりました。

それを、こうして、みなさんとシェアし始めたのが、2008年でした。

その当時のことで、よく覚えているのは、本当に堰を切ったように号泣していたことです。感謝とともに、まるでいままで大きな岩で堰き止めていた感情が溢れるように出てきて、おいおい泣いていました。

その涙は、本当に感謝で。まるですべてを洗い流していくような、そんな涙をよく流していました。

それほどに、感情を抑え込んで生きていたのでしょうね。力いっぱい、本来の自分の素直なうれしい思いに抵抗して。よく頑張りました。

本当のわたしとは、絶対的な安心、平和の世界で、うれしく、たのしく輝く、歓喜(よろこび)そのもの。

つまりは、わたしが体験した、あの繊細な美しい軽やかな光そのものだったのです。

そしてそれが、ありがとうのエネルギーであり、それが神であり、神は人間を体験し、うれしく自然なる創造を楽しむために、この肉体をもったのです。

このまったく新しい世界に移行し、自身のときめきを自然にアートした幻想を楽しむために。

そのためには、深い愛の世界へ、奥深くの陰陽が和合する、逆三角形の頂点の場所に。そこにきらめく光の世界への扉があったのです。

すべての抵抗がやわらぎ、次第に力まかせの自我が力を失っていく、わたしのアマ満ちる空間へと。

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✿神性と人間の統合―無条件の愛と自我たち

ヒレじゃ遠くへ ゆけない

脚がいるわ 踊ったり 散歩したり

どこを歩くんだっけ? そう…、道!

歩いて 走って 陽の光浴びながら

自由に 人間の世界で

リトルマーメイド「パート オブ ユア ライフ」より


この歌は、人魚がなんとかして人間になりたいと切望する歌です。

人間になって、したいことをしてみたい! 素敵なダンスを踊ってみたい、脚で歩いてみたい…!

なんて純粋な思い溢れる歌なんだろう、と。

以前は何度も何度も聴いていたことがありました。いまも好きな曲ですが、あの頃ほどには聴いていません。

この歌も、わたしの大好きな歌のひとつです。



――太陽と月がゆくるとき まったく新しき世に移行する――

ある朝起きると、真っ暗なときがありました。朝7時頃だったでしょうか。その日に限って、その時間に起こされたかのようで(なぜなら、その時間はいつもは寝ているからです)。月食? 日食? そのどちらかは忘れましたが。太陽と月が重なるその瞬間に湧いてきたことばです。

まったくあたらしい生の始まりを告げるかのように。

「わたしという無条件の愛と魔法の光空間」への移行でした。



「無条件の愛」と聴いて、あなたはどんなことを感じるでしょうか。少し、無条件の愛を考えるのではなく、感じてみてください。







結論を言いますね。

あなたは、どんなあなた(どんな周波数の自我)も光の世界では愛しています。

悲しい自分、孤独な自分、罪悪感にさいなまれている自分、劣等感を抱いている自分…、いろんな周波数帯の「私」がいますが、そのすべてを、本来の神である「わたし」は、愛しているのです。

治そうとせず、正そうとせず、そのままでいいと。

そして、あなたは無条件にあなたのうれしい夢を叶える(表現する)ことができる存在なんです。



この心地よい、うれしい周波数であること。それが選択です。



「愛は無敵です」



2008年の光の体験後に、こんなことばが浮かびました。

それもいまとなっては当然のことで。

この「ありがとう」の周波数の世界に敵などいないのです。

ここから下がった周波数では、多くの「敵」という抵抗波動を創り出し、戦い、勝ち負けの不自然で難しい世界が拡がっていくのです。

そう、 わたしたちは、マインドの世界に入ると、こうでなければいけない、こんな私でなければダメだといった、苦しい世界に入っていくんですね。

苦しいのは、嘘です。うれしいのが、ホント。



――神の世界には、グッドフィーリングしかありません



あなたが心地いいエネルギーであるとき、心地よくあるとき、それは神のフィーリングなのです。



ここには、本来のあなたのエネルギーに抵抗する波動は存在しません。



そして、これが自然な状態なのです。



思い出しましたか?

この話を聴いて、うれしく感じるでしょうか。

だとしたら、あなたはこの光の情報を知っていたということです。知識ではなく、あなたの光のDNAに、すでに刻まれていた情報を目にしたということ。

これは教えではありません。

あなたがすでに知っていることなのです。

そして、あなたはこの世界をますますリアルに感じるようになるでしょう。





少し、いま、あなたに呼吸ができる用意があるなら、都会の喧騒から離れて、心地よい避暑地に赴くように、表面的なマインドの世界から、奥深い「あなたという安心安全な空間」へと着地してみてください。



まるで小石を湖に落とすように。あなたが、その小石になったかのように。静かな地へと。



ゆっくりと深呼吸をして。



ここは、安心です。安全です。



あなたを傷つけるもの、あなたを悩ますものは、何も存在しません。



あなたが傷つけるものも、あなたが迷惑をかけるものも、何も存在しません。



それらは表面的な相対のゲームだったのですから。



すべてはそうした周波数で映し出した幻想です。



ホッとするでしょう。

心底、安心するでしょう。

自然に、力が抜けていくでしょう。

この感覚、このグッドフィーリングを覚えておいてください。


まるで観音が蓮の上に座っているような心地かもしれませんね。ああ、これは、わたしの感覚ですが。人それぞれ、その感覚は独自のものです。ですから、これが正解といったものではありません。ただし、表面的な安心/不安といった感情ではなく、絶対的な安心、安らかさを感じるでしょう。

さらに、光の宇宙、光溢れる世界を感じる人もいるかもしれまんね。

うれしい感謝が溢れてくる人もいるかもしれません。ちなみに瞑想よりも強力――、というか、さらに奥深い自然なる状態が、この感謝の状態です。次の章で詳しくお伝えする、いのちの花の状態です。

光の体験をする人は、一瞬(アリィ)⇒1週間から10日間ほど(アリア)⇒ほぼずっと(アリオ)という経過をたどると言われています。

この、常に軽やかな光のありがとう、「アリオ」の状態にあるのが、もっとも自然なのです。これについては、後ほどさらに詳しく言及します。

このグッドフィーリングから外れると、わたしたちは不快さや重さを感じるようにできているのです。

これまで、あなたは頑張って、頑張って、山登りをしてきたかもしれません。あの山の頂上に昇るには、もっと頑張って、もっと人よりも努力して――、と。

気が抜けない、競争の世界。まるでピラミッドの頂上を目指すかのような。犠牲者だった者が、逆に支配者を目指すかのような。

光の世界でさえも、目指す。上へ、上へ! と。上(神)の声を聴くという発想をしている限り、あなたは永遠に外側に神を求め続けるでしょう。

それこそが相対の世界への旅。つまりは、神を上に置いた自我の世界の幻想を強化していた苦しい生き方。

本来の軽やかな光の世界に上下はなく、神々たちともボーダーレスです。

上を目指すのではなく、あなたは優雅に川下りをするように、本来の奥深い愛の地にグラウディングしていくのです。

このすべてがある地に。このすべての光たちと同調している、軽やかなありがとうの光溢れる地に。

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✿どんなときにも君を癒して輝きの溢れる場所へ―気づきが深まれば、深まるほど

輝く夢たちが集う場所は 永遠にキミを待ってる

不思議な魔法の鍵で 扉を開けてみよう

そこには笑顔と希望があり いつだって輝いてるよ

おいでよ Dream World Wonder Land キミの国へ

すてきな Your Smile 絶対 Dreams Come True

心に愛 夢 希望のShining Star


東京ディズニーランド25thテーマソング 「魔法の鍵」より



ああ、本当にこの歌は素晴らしいですね。

ここに紹介している歌はすべて、わたしが大好きな曲ばかりなんですが。特に、この歌は大好きです。

なぜなら、この世界そのものだからです。

神性と人間が統合された、光の世界は。

過去、この歌に何度、元気づけれたことか。



寂しくなった時は(そんな時は) この国を思い出して

どんなときにも 君を癒して 輝きの溢れる場所へ



そう、この無条件の愛と魔法の光空間にあること。

あなたという、愛の光の王国です。

最初は、何を言われているのかも分からないかもしれません。

けれども、あなたがホッとすることで、必ず、あなた自身の空間、この光溢れる世界へ辿り着いていると実感するときがきます。

この世界を明確に感じるときが。

それが、あなた自身であるということも。

あなたは、これまで何かを許そう、癒そう、受容しよう、手放そうと努力してきたかもしれません。

それはマインド(自我)の世界を強化する四苦八苦する古い世界の方法論なのです。

この奥深い愛の地、内なる桃源郷、絶対的な安心・安全な空間、グッドフィーリングプレイス、ボルテックス、無条件の愛と魔法の光空間、呼び方はなんだってかまいません。

ただリラックスして、この愛の光が溢れ出す空間にグラウディングすることです。次第に、ときめき、きらめき、ひらめきが自然に溢れるようになるでしょう。ここにあることが、すべてなのです。

なぜなら、この空間そのものが、本当のあなただからです。

この感覚は、統合が進むほどに明確になっていきます。

同時に、人間として表現したいあなた自身が自然に立ちあがってくるでしょう。

最初は曖昧かもしれませんが、あなたがここに居続ける習慣をもてばもつほどに、自然に気づけば明確になっていくのです。

ここではすべて自然に成されてしまいます。

それは、まるで世界(周波数帯)を移行するようなものです。

あなたが、これまで努力してきたすべてが自然に簡単に現れるようになるでしょう。

ちなみに。手放すことも、受け容れることも、許すことも、すべてマインドでは難しく、できないことなのです。



「人は、人を許すことはできない」



あなたが人であると思い込んでいる限り、古いマインドのゲームは続くのです。

この地にあれば、自然にすべては簡単に楽にスムーズに成されているのです。

それを無理になんとか受け容れよう、手放そう、許そうとすることこそが、古い世界の特徴なのです。

「何もしなくてもいい」というのは、あなたが愛の光と同調している状態にあるからだと気づくでしょう。

それには、あなたの空間にあり、まずリラックスすること。

光満ちる、巨万の光のソースと繋がった、あなたという、ありがとうの素粒子の世界に。



すると、どうなるでしょうか?



感謝という歓喜のエネルギーのままに、自身の大好き!に焦点を当て、それを幻想化している。



これが、視点の移行であり、自然な状態で、とても気持ちがいいんですね。

そして、ますますこの軽やかな「ありがとう」の歓喜の世界を定着させ、自由自在にあなたの言霊、想像、エネルギーを響かせ、遊んでいくのです。

ずっと待ってたんだ キミが素直になるのを


光のDNAの開花。

統合が自然に進むにつれ、 あなたはこれまで以上に聡明になるでしょう。なんと窮屈で狭い世界で、何かのせいにするゲームをして、自身の力を見失っていたのかと思うかもしれませんね。それこそが、古い世界の共依存の世界だったと。 本来の光の世界では、一人ひとりが自立した光であり、互いに気持ちよくサポートし合っていることも。 いいえ、それは気づき続けるもの。その度にうれしさに包まれるでしょう。

すべてが自然に成されるということも、体感していくでしょう。

あなたがこれまで望んできたすべてが、自然にやってくるということも。

すべてが周波数で、その周波数で起きる世界を観ているだけだったと。

周波数の違い、それがパラレルワールドだったのだと。

本当の あなたの世界は、平和で穏やかで、うれしく、楽しく、豊かで、ラッキーで、ハッピーで。そんなことが自然だったと気づくでしょう。

自然に素直で純粋な思いが湧いてくるでしょう。

その望みのままにあなたは言動し、自然にうれしい景色を観るでしょう。

あまりにも自然に事が成されるので、自分は何を追い求めていたのかと思うかもしれませんね。

あなたの内側が統合され、光に満ちれば、満ちていくほどに、美しい景色が自然に拡がっていたことに気づくのです。

偏った視点で見ていた世界は、分離の体験だったと。すべては自分の空間という内側の投影であったと。

本当の眼で観る世界は、光の眼で観る世界は、なんとうれしく美しいのだろうと。

もうそれはあまりにも自然すぎて、驚くようなことではなくなっていきます。

逆に、不自然なことに気づきやすくなるのです。

奇跡も自然だと。素敵なことは自然だと。そしてあなたがこれまで理想だと思っていたことが、自然に現れているということにも。

理想だと思っていた、うれしいあなたが、本当のあなただったと気づくでしょう。

光に満ちるということ、そのフィーリングが、統合が進めば進むほどに明確なものになり、気づきも速くなると同時に、幻想化も速くなっていくのです。

あなたはもう過去のパターンを繰り返すことから卒業していくでしょう。自然に。

ただ、このあなたの空間にあるだけで。表面的なマインドの世界から離れた、奥の地に深くあればあるほどに。

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✿高く高く飛べるの いまあなたと二人で―神の正体・素粒子の回転を安定させろ・澄み切る

見せてあげよう 本当の世界

なんでもできるさ キミが望めば

連れていこう 不思議な旅へ 魔法の絨毯で星空へ

自由さ 新しい世界 僕らはもう誰にも縛られはしない


アラジンと魔法のランプ 「A Whole New World」より




すべてが自然に澄み切っていく空間。

この絵は、2008年の光の体験後に、ふと思いついて創ったものです。

心が澄み切り、自然に夢が溢れる世界を描いていたのですね。

まさに、この愛の夢の世界を。

愛の夢、うれしい夢を自然に観ている世界を。

この奥深い地にあることが自然になっていく。

ドンチャン ドンチャン 五月蠅いのぅ

ドンチャン騒ぎで 岩戸は開かぬ

マインドを鎮めた静かなるこの空間にあることで、すべてが自然に統合されていく。

統合しようとする必要もありません。

それをすることで、さらにマインドの世界を強化し、本来のあなたの神である力(感覚)を失ってしまうのです。



ゆったり、たおやかな世界にあればあるほどに、千早振る独楽、ありがとうの数多のアマの光に満ちてゆく。あなたという光の独楽も輝き、数多の光と同調している、この自然なる歓喜(よろこび)の世界に。


あるとき、「素粒子の回転を安定させろ」というメッセージが湧きました。

当時は意味が分からなかったのですが、素粒子の回転を安定させるとは、ありがとうの歓喜(よろこび)の周波数であることだったのです。

素粒子の回転が不安定な世界。それが過去の自我の世界です。

自我は分離という幻想の世界で、偏った自分(対立するものを否定した)を表現しようしようと苦しみの世界にいます。

自我とは、ガタガタと美しいバランスを失った素粒子(エネルギー)とも言えます。

この回転数が安定すると、数多の素粒子が光に上昇するのです。

だからこそ、あなたの空間が、ますます光に満ちていく。

そして、ありがとうの光の球(独楽)、それこそが神の正体なのです。



あなたは、源の巨大な光の球から、花の茎のように出たパイプの先端についている光(素粒子)です。花の茎は無数にあり、一人ひとり違った光の世界が与えられています。つまりは、あなたは、もともと特別な他と比べようもないオンリーワンの光。

全体にして、個でもある。半霊半物質。神が人間である状態、つまりは光が人間の肉体、幻想を表現している状態です。

この菊花紋のように、あなた独自の、好みの、光の花を咲かせている存在なのです。

一枚、一枚の花びらは、あなたの素直な思いの放物線。

あなたの純粋でうれしい素直な思いが気持ちよく湧き上がり、出入りし、その思いの現象化をただただ楽しんでいる。

ありがとう、と。

一斉に咲く、花びら。

息をしたいと思えば、うれしく息をし、

歩きたいと思えば、うれしく歩き、

寝たいと思えば、うれしく寝て、

それと同じように、何かがしたいと思えばして。

人間の肉体をもちながら、神(光)がその幻想を楽しんでいる。

統合が進めば進むほど、愛が深まれば深まるほどに、 あなたという光は独楽のように回転し始め、中心から放射状に、あなたの思いが花びらのように出入りするようになります。

気持ちよく。これを、ここでは、いのちの花を呼んでいます(わたしには、そう観えるんです)。

二元の世界での数多の陰陽の経験も、ここでは統合され、光に還り、独楽のように回転する宇宙の光と同調し、最高の気持ちよさを感じるでしょう。そして、あなたの宇宙(光)の調和は際限なく拡大していきます。

これが、まさに、ありがとうのアマ満ちる世界です。そして、ますます、あなたの純粋な思いの幻想化が速くなっていくのです。

あなたの内から、うれしい思いが発せられ、それを受け取り、スムーズに楽に、簡単に、幻想化している。

美しく、うれしく、たのしく、咲き誇る、夢の花。それが、あなた。いのちの花。

この夢が出入りするエネルギーこそが、自然に湧き上がるありがとうなのです。

全宇宙のアマのエネルギーと調和し(同調し)、サポートを存分に受け取っているエネルギーです。

軽やかな、ありがとうそのもののエネルギー。

歓喜と、感謝しかない世界。

本来は、この世界が自然なのです。

問題は自然に消え去り、あなたの素直な思いがスムーズに楽に、簡単に幻想化する。そして、うれしく、感謝に満ちて、光に満ち足りて、たのしく、ゆたかに、笑っている。

この愛の夢の世界が当たり前で、自然なのです。



そう、あなたは夢を観ているのです。

この歓喜(よろこび/ありがとう)以外の分離の夢を観るのか、統合された愛の夢を観ているのか、ただその違いだけなのです。

古い分離の夢を観ている神々たちは(みんな光であり、神です)、心地よくない波動で創り出した現象に、いつまでもいい/悪いといった偏った視点からフォーカスすることで、その幻想を強化しているだけなのです。

一方、新しい世界で生きている人間の神々、こちらの世界に移行する人間の神々は、相対の世界で経験するエネルギーから好みを知り、自身の純粋な思いを発して送受信している、 愛の夢の世界に。それは、まさに、いのちの花が咲いた世界。

この軽やかな「ありがとう」は送受信が同時に行われている状態なのです。送信モード、受信モードと分離する必要がないということです。

そして、 その思いには裏表がなく(重力がなく)、とても純粋なのです。

「大好き!」に理由がないのです。「だって好きなんだもん」、それが理由です。理由など、考える隙もないくらいに。

これが 歓喜(よろこび)の周波数の世界とも言えるのです。

この深い愛の世界では、数多の自我(陰陽)は自然に統合され続け、神性と人間が統合され、あなたの純粋で素直な思いが湧き上がる点が定まり、自然に循環し、愛の夢(幻想)として現れるのです。

こちらに「千早振る」の説明を紹介しておきます。


第31話「千早振る」より引用

1. 千早振る 荒振る

 「千早振る(ちはやぶる)」と「荒振る(あらぶる)」という言葉があります。これは正しい神の力と悪い神の力を表す言葉です。 一言でいえば「光の力と闇の力」ともいい「螺旋波動と鋭角波動」ともいいます。

千早の「千」は、千木(ちぎ)の千で、細かに数多くという意味です。「振る」は、振り回す、または振る舞う、振り回す、の意味です。同じ意味で「フルベユラ フルベユラ」という言霊があります。これは、天の数歌(ヒト、フタ、ミ、ヨ、イツ、ムユ、ナナ、ヤ、ココノ、タリ、モモチ、ヨロズ)という創造、進化を司る言霊と併用して唱えることで効果はより強力なものとなります。

「フルベユラ」の「フル」の言霊は、縦の力をもって強く振る所作をあらわし、罪汚れを祓い落とし、振り落とします。ユラは、「揺らす」で、横の力をもって固いものを柔らかに揺らしてほぐし、滑らかにし、細かな汚れも逃さず綺麗にします。このフルベユラの言霊の活用で、縦と横の十字が組まれ神界の禊祓いの技が決行されます。

この言霊は、主に病を災いを祓い癒す際に使われますが、魂を振って揺らし、邪気を振り落とし清めるという非常に優れた言霊です。

さて、千早振るとは、毎秒何千万回も高速旋回によって起きる微振動ということです。 それは、例えば独楽(こま)が高速旋回して、まるで消えて止まっているような状態をいいます。

それに対し、荒振(あらぶ)る神たちの「荒」とは、荒っぽく、粗野に、雑にということ、またバランスが悪く、大雑把、不安定なという意味です。それは独楽でいえば、勢いなく、ぐらぐらと回っており、いつ回転が止まってこけるか分からないような不安定な状態です。



2. スミキル

千早振る独楽の回転は、静止しているように見えても、その回転は猛烈な旋回を続けています。これを「スミキル」と言います。

このスミキル状態になりますと、まわりのどこからでも触れれば触れたものが弾きかえされる力を持ちます。しかし、荒振る独楽の回転は、ちょっと触れば倒れます。右へ向かって押せば右へ倒れ、左へ押せば左へ倒れる。つまり、周りの意見に押し流されるような芯のなさを表します。

千早振る状態は、旋回によって生まれた中心軸が、周囲へ向かってエネルギーを放射し、また中心に向かって吸収する力を兼ね備えています。真ん中の軸と円周が見事に融合し、美しく、バランスのとれた世界を見せます。

千早振る世界は、前後上下左右のどこにも偏り無く、真ん中の一点に集中し、同時に四方八方に、その中心力が発露する力を有している世界です。これこそ、完全な鎮魂に入った状態です。

鎮魂は千早振るを体現させ、それはスミキル状態をつくります。スミキルは「スの身に成りきる」ことで、主神(創造主)の心をわが心となすことです。 人も荒振ることなく、千早振る状態でありたいものです。



3. 大気中に遍満する言霊

本来、主神の統括するこの世界では、「スースースー」と、水蒸気よりも霧よりももっともっと細かい気に満ちています。そこに存在するすべてを形成するものは、よりきめの細かい分子で構成されています。 ですので、空気そのものが肌ざわり滑らかで、甘く、ふくよかであることを感じます。まるで絹のような滑らかさです。

このような微細な水火が連なっているのを「極微点の連珠糸(こごこのさぬき)」と言います。それは75声の言霊で構成された世界です。人々は、この日本の国を古来より「豊葦原の瑞穂の国」と称し、潤いある瑞々しい国であると称賛してきました。

また、言霊の幸はう国と称したのも、言霊75声の力による、水気の潤いがあればこそなのです。言霊の乱れとは、75声の荒振りです。その荒振りは、大気中の極微点の連珠糸を崩壊させます。

そうなりますと、極微点の連珠糸の構造分子の目が粗くなり、凝り固まります。これが邪気です。邪気は磁気を狂わせ、人の世になだらかさ、ゆるやかさ、滑らかさを消します。これは水質汚染と同じです。気は本来、火であり、火の本質は霊です。

その火は水によってはじめて本来の働きを発揮させます。ですから日本では、気の活動力を称して「水火(いき)」と言います。

水のもつ清らかさ、透明さがなくなると、物と物とつなぐ融合の働き、万物を清めるという水の働きが失せます。渦巻く流れが止まると水はよどみ、悪臭を放ちます。そこに蚊や蝿がわき、世は古事記が示すような、五月蝿(さばえ)なす・・・という悲惨な状況になるのです。

水火は、火を真中に置き、周囲を水が囲っている「○~水」に「・~火」の形です。この水の部分が悪しき言霊の力で破壊されると、中の火が表面化します。

火が表面化しますと、周囲は乾いて潤いを無くし、人の心も優しさを欠いてきます。許しあい、愛し合うという気持ちが著しく損なわれて、ちょっとしたことに腹を立てて争いが起こります。火の力は、大いに文明の発展に寄与しました。

人類は火をもったときから、文明が起こったのです。確ました。しかし便利さと引き換えに、人々の心が火の犠牲になりました。過剰なる火力の蔓延は破壊を促します。戦争はその最たるものです。

現代、水の豊かさが消え、火のみが勢いを増して、それがもうピークに達しようとしています。





✿夢はかなうもの―すでにそうである深い愛、ときめきが溢れる世界

夢は望むこと 眠りの中

かなしみも消える

祈り続ければ

いつかは必ず 虹が微笑むわ

たとえつらいときも 信じていれば

夢はかなうもの

シンデレラ「夢はひそかに」より



歓喜(よろこび)以外は、ぜんぶ嘘(古い分離のエネルギー)

「もくじ」のタイトルに、すべてディズニー音楽の名曲の歌詞をつけたのは、思いつきなんですが、ちょっとした魔法があるんですよ。

すべてのもの、いのちには、それ固有の周波数(音)を発しているのを感じていましたか?

歌っているのを感じていましたか?

石も、樹々も、花々も、空も、鳥も、イルカも、風も…、すべてもとは光のいのちです。それぞれ固有の周波数でアートし、表現されている、いのちです。

そう、すべては、いのちの歌を歌っているのです。

あなたのその肉体も。現実(幻想)も、すべてそうです。

身近な例で言えば、 ある場所を清々しく感じたり、ある場所を澱んでいる、ここはなんとカオスと感じたり、そんな経験は誰しもあると思うんです。

人間なら、雰囲気、空気感、存在感とも言えるでしょう。

なんとなく、そこはかとなく感じるもの、それが、その人が発している音です。

その音、周波数がすべてなんです。人間はそのときどきの感じている感情で周波数が変化する生き物ですが(植物や動物たちは、人間ほどその種類が豊富ではありません。基本、ピュアでポジティブです)、

そこにすべての情報があるんですね。感覚が開いている人なら、その情報を読む(感じる)ことができる。距離も時間も関係ありません。その精度は、人によりまちまちですが。

人間の場合、一般的に、声の周波数がもっとも分かりやすいかもしれませんね。声で、その人の状態、その人となりが分かるものです。

先ほど、「この空間にあることです」と言った意味が分かりましたか?

つまりは、あなたの空間、イコール、宇宙だということです。

あなたの存在は、すべての経験が生かされた光の空間なのです。

それらの過去を否定し、葛藤が多ければ多いほど、あなたの空間は澱み、本当の音が響かなくなるのです。

あなた自身の奥深い空間にあることで、自然に統合され、あなたの空間が澄み渡っていけばいくほどに、あなたという宇宙の存在は、とても清々しく、あなた独自の音を奏でている存在であるのです。

ありがとうの愛の空間で、ありがとうの光満ちる空間で、大好き! な情熱のままにある。

これが、わたしの世界! と歓喜のままに。

とてもとてもシンプルな世界。

あなた自身がパワースポットになってしまうというのは、そういうことです。



わたしは音楽が好きで、いろんなジャンルの音楽を聴くのですが、音楽って一瞬にしてその世界を感じさせてくれる。

楽しい気持ちになったり、しんみりした気持ちになったり、もう超絶ハッピー! って感じになったり、 一瞬にして世界が変わりませんか?

つまり、この幻想世界は音(周波数)で出来ているんです。

あなたがいま出している音がすべて。歌っていることがすべて。そして、あなたの自然なる、素直なうれしい音を出し、自然に現象化していく世界。これが新しき世です。

むかし、二胡という中国の民族楽器を習っていたときに、こんなことを思ったことがあります。

――芯から響く音を出したい

二胡という楽器は(すべての楽器そうかもしれませんが)、わたしの調子でまったく音が変わってしまうほど、わたしのすべての状態を反映するもので。

芯から音が鳴り響いたとき、とてもそれはそれは気持ちがいいんですね。

全身、いいえ、わたしといういのち全体、宇宙全体がよろこんでいる感じで。もちろん、二胡も。

これがわたしの歌を歌っている最高に気持ちいい状態だと感じました。

わたしの本当の音を響かせている世界。

本音とは、うれしいもの。楽しいもの。わくわくするもの。清々しいもの。スッキリするもの。とても、とても気持ちのいいもの。

そう、ありがとうの神の世界には、このグッドフィーリングしかないのです。

愛と素直なうれしい、ときめく思いのみ。

そして、あなたは、あなたの世界がありがとうの光に満ちていくと同時に、自然にポジティブな状態になっていくでしょう。

ポジティブな状態とは、絶対的にポジティブな状態で、相対のネガティブ/ポジティブに執着できなくなります。



よきかな、よきかな、すべてよきかな。



いい/悪いで分離した「こうじゃなければいけない」という偏った「古き世の感情」に支配されなくなるのです。

すべてを周波数として自然に捉えるようになるでしょう。これが神の視点だからです。

感情とは、制限ある思考(概念)から生まれるものですが、古き世の感情は重いのです。この感情も次第に軽やかになっていくでしょう。

どんな感情も、それでいいと大事に愛でているとは、先ほども少し触れましたが、感情さえも重力(判断による上下の執着=重力)から解放されていくということなのです。罪悪感、無価値観といった、すべての音を祝福し、愛でている状態が自然になります。 それが豊かさではないですか? 音楽を聴くとき、あなたはすべての音を自然に愛でているはずです。楽しんでいるはずです。

「ド」が歓喜の音だとすると、それ以外の音は、すべてノー! という状態は不自然じゃないですか? 「ド」しかない音楽なんて、薄っぺらい! 愛とは、とても深みがあるというのか、厚みがあるというのか、すべてなんです。すべてが軽やかに存在している世界です。

もうひとつ、違う例えで言えば、いろんな洋服があるなかで、大好きな洋服を選ぶのと同じです。あなたが迷彩柄の洋服を嫌いだとしても、ずーっと嫌いな洋服を見て、「この洋服め!」と言い続けることはないでしょう(おそらく)。そうではなく、咄嗟に、好きなものを手に取りませんか? 世の中にはいろんな洋服があるけれども、それらに上下をつけていない状態ですね。

ただ、純粋に好きなものを楽しんでいる、この 歓喜以外のエネルギーにリアリティは感じなくなるでしょう。

古い地球にいた頃は、歓喜以外のエネルギーがものすごいリアリティに感じたかもしれませんね。

古い地球のドラマにだんだん興味がなくなってしまった人もいると思いますが、そういうことなのです。



『上品蓮台』ということばを聴いたことがあるでしょうか。

極楽浄土において、蓮の上に上品の人が微笑む様といった意味合いだそうです。

わたしも、ふと目にしたことばなのですが、以来、大好きな響きになりました。

「上品」というのは、もともと仏教用語だそうで、その魂の世界に応じて、「上品」「中品」「下品」とに分かれているそうです。

「上品」「下品」といった、現代のことばにも、そうしたエネルギーの世が反映されていると感じるのです。

「下品」な世界は、表面的なジャッジの世界と言えるでしょう。感情のアップダウンの激しさに応じて、いいことがあったと思えば、悪いことがあるといったように、非常にふり幅が大きく反転するようにできているのです。相対の偏った位置を移動する世界の現象化は、何かを否定することで、自身にとっていい感情の現象が一時的に映りますが、次には真逆の現象が起きるようになっているからです。

それはそれは、とても自我のパワーを不自然に使う世界です。

それも、ひとつの世界です。

神の世界であればあるほどに、「上品」である。

「品」、それは思いやりなのですね。

愛とは、思いやり。優しさ。穏やかさ。平和。すべてをそのままに愛でることができる様は、とても品がいいものです。

そして、これがとても細かな粒子のアマ、天の気、神の気、ありがとうのエネルギーなのです。

この愛の状態であればあるほどに、あなたといういのちの花は自然に咲き、純粋さは増し、子供のようなピュアなうれしい思いが湧いてくるのです。

「大人こども」ということばをブログでも紹介してきましたが、わたしを生きるとは、そういうことなのです。

そして、 冒頭に書いた、「愛でよ、歌えよ、咲けよ」の詩(うた)。これも2008年にふと湧いたことば(音、エネルギー、周波数)です。

まさに、この詩は「上品蓮台」の世界を現したものだと。つまりは、新しいいのち、神性と人間が統合された状態なのです。

愛が深くなっていけばいくほど、心地いい、安らかな世界が自然に拡がる。

そして、自然にあなたが、うれしく自然に歌い出す。

素直でうれしい御心を。

夢は自然にかなうものだと、気づけばそうであったと実感していくでしょう。

ますます、このすでにそうである愛の世界を。

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✿優しさが開いてく愛の扉―超一流の遊び人

太陽が東から昇るように

いつまでも語り継がれる物語

いつまでも詠い継がれる歌

優しさが開いてく 愛の扉

美女と野獣


美女と野獣「 Beauty and the Beast」より




さぁ――、ラストの章に入りました。

先ほども触れた、「愛でよ、歌えよ、咲けよ」の詩(うた)。

この詩がふいに湧いてきたとき。実は、わたしは号泣したのです。

2008年の光の体験後から、しばらく経ったときのことでした。

なぜ、泣いたのか。

当時、光の世界を観たとはいえ、わたしの中には浄化・統合するものがまだ、たくさんありました。

その最大の自己否定の要素が

無価値観と罪悪感です。



愛でよ 歌えよ 咲けよ

その心に一片の曇りなし 一切の迷いなし 一滴の憂いなし

愛でよ 歌えよ 咲けよ

その生に千遍の叡智を 万遍の息吹を 億遍の響きを



この詩が、本当のわたしを歌っていることを感じると同時に、

「なぜ、そのようなことを言う? わたしはこれまでも多くの過ちを犯してきた。そんな存在ではない(そんなことを言わないでくれ)」

そんな悲しい、苦しい思いが湧いてきたのです。一方で、そのエネルギーに感謝が溢れて、また号泣していました。



「わたしは神(光)ではない」

これが最大の自己否定です。

いいえ、自己否定とはそういうことなのです。

本当の自身を否定しているとは、そういうこと。

本当の自身は、軽やかなありがとうの愛の光であり、これが神であり、すべての自我(周波数)を愛でているのです。



――あなたは神(愛の光)になりたいですか? 神を目指しますか?



いまのわたしならば、穏やかに一笑に付す質問なのですが。なぜなら、なる必要も、目指す必要もなく、わたしはそうだからです。

けれども、自身を知らない、自身を知らない忘れたふりをした数多の自我と同化していたわたしにとって、「神」が自身の上にあるものだと、何かものすごい偉いもので? 人間であるわたしは罪を犯した罪人だと思い込んでいたのです。

そして、どちらが上で、どちらが下か。優越感と劣等感を行き来して、誰かと比べ、何かと比べ、勝ち負けで自身の価値を証明をしようとする世界に執着していたのですね。

自我に同化しているときは、本当の自分を見失い、常に誰かや世間を基準にし、誰かや世間、果ては神の顔色を窺い、それらのせいにするゲームをしているのですから。

これがすべての古い世界の始まりの思想なのです。

本来は、わたしたちは、無条件にあるだけでものすごい価値がある存在なのです。神ですから。

ちなみに、不平、不満、愚痴は本当の望みを知るためのものです。だから、素晴らしいことなのです。愚痴を言い続けるのではなく、「あ、わたしが望んでいることはこれじゃない! そうだ! わたしの望みは、もっとこうであることだ!」と。わぁ、うれしい! これが本来の光の人の姿です。

ちなみに、新しい世にいる神である人間は、老ける速度もとても遅くなります。逆に若返るケースもあるでしょう。

古い自我と同化している世界では、これまでの経験に縛られ、何を観ても毎回同じもののように見える、きらめく眼で、好奇心をもって観ることができなくなっていくのです。

先ほど触れたように、本来、怒りや悲しみなどの、すべての感情は、本当の気持ちに気づかせてくれるものなのです。愛の世界にあればあるほど、感情という周波数から気づくことが多くなっていくと同時に、扱い方も上手になっていきますね。

つまりは、わたしたちは人間だと思い込んだ時点で、過去から未来へ、何かを目指す、なろうと必死になり、事を起こそうと頑張る、制限や時間に縛られた戦いの幻想の世界に入っていってしまったのです。

このすでにそうである、満ちたり続ける、愛の光のありがとうの世界を

このすべての偏りが自然にバランスされ、ゼロに戻る地を

自身の愛のうれしい夢を、中心が定まったありがとうの花のままに、いま観ることができる世界を忘れて。

「あなたは人間ではありません。神であり、光です」

2008年の光の体験後、そうブログに書いたことがありました。当時はいま以上に、こうしたことを思い出す神々がいなかったので、多くの抵抗にも遭いました。「ありがとう」ということばさえも誤解され、

「こんな私にこんなことをしてくださり、ありがとう」

といったニュアンスで捉える方もいました。仕舞には、「ありがとうなんて」と頭から否定する風潮さえあったのです。地球の恐れの周波数、神に対する恐れの概念のひつこさに、愕然とした覚えがあります。

それほどに、集合意識には、神に対する恐れ、怒りがあったのでしょうね。

世間という幻想の世界は、まるでそれが正しいかのように、一様にみなが右に倣えをする世界です。

「ありがとう」は、いのちの花、個にして全である、独立した王の光の子のエネルギーそのものであるのに。

「人間は神ではない」、「あなたは罪を抱えている」、そう教えられたら、その考えを鵜呑みにし、まるでロボットのように生きてしまう。

それは半分死んでいるような生き方です。古い世界の代表的なもの。それが宗教ではないですか? つまり、古い世界とは、自分以外の何かの声に決定権を委ねている世界なのです。教えられた通りに、その戒律、法則から出てはいけないと、自身の本当の声を無視して。あなたは何かの奴隷なのですか? 本来、あなたは、あなたの光の世界の王ではなかったですか? 

だから苦しかったのです。

けれども、もう、その古い世界を探求する旅は終わりました。

その不自然な世界は終わったのです。いいえ、すでに終わっていたのです。わたしが、新しい世界に移行すると決めた瞬間に。

「わたしは超一流の遊び人になる」

こんなことを、以前、ふと思ったことがありました。

当時は、わけも分からず――、本当に思わず出たことばでした。

超一流の遊び人とは、純粋にいまを楽しんでいる人のことだったのですね。

すべてのことばは、すべてのエネルギーは、わたしの内から自然に湧き上がってくるもの。

そして、自然に湧き上がってくるものは、ありがとうの生命の花の状態では、自然に現象化される。

これも、当時、ふと湧いてきたメッセージです。

「あなたはすでに成功している」

この「ありがとうの花咲く世界」こそが、本当の成功だったのだと、いま、さらに実感しているのです。

感謝という歓喜のエネルギーであること。互いに感謝し合いながら生きている世界こそが、本当の幸せだと、わたしは感じています。例え、お金に恵まれていても、誰かに称賛されても、それがなければ虚しいものですね。

ちなみに、わたしは春生まれなんです。だからなのか、わたしは春が大好きです。すべてが自然に芽吹く春の匂い、春の穏やかさ、春の軽やかさ、春の風が。

スプリングということばが大好きで。ブログの最後にも「SpringSongs」という画像を貼り付けています。

すべてが自然に湧き上がる。

純粋で素直な思いが。この愛の、光の、アマ(天の気)満ちる、いのちの花が咲く世界では。



「カムロギ カムロミ アマウツシ…」



これも、ふと湧き上がったことばですが、陰陽統合される愛の地では、わたしの内側の愛の夢が自然に映し出される。

愛に満ち溢れた、祝福された、豊かな世が。



わたしの世は、自然に幸せで豊かです。親切で、心豊かな人たち、環境に恵まれ、気づけば、出会うもの、現象が自然に変わっていたのです。



ああ、懐かしい質問を思い出しました。



2008年だったでしょうか。

「あなたは、この生で何がしたいのですか?」



聖ジャーメインからの質問でした。わたしは、思わず、咄嗟にこう応えました。

「生きる(わたしを生きる)」

彼から、すぐにこう返答がありました。

「あなたが、ただ単に生死の生きるを言っているのではないことは分かっています」

そのとき、わたしは彼が本当に高次の存在だと確信しました。それがジャーメインであれ、誰であれ、いまとなっては重要なことではありません。それも、元をたどれば、わたし自身であるのですから。いまでもわたしは、何かに答えを委ねることはありませんし、お伺いを立てることもありません。なぜなら、すべては自身の内から自然に湧いてくるからです。そして、生きる状態をもう知ってしまったからです。

ただ、当時のわたしはとても疑い深く、 わたしの返答に、微塵でも納得のいかないことを言おうものなら、即座にわたしはその場を立ち去るつもりでした(回線を切る)。

その温かいエネルギーと、光の豊かな叡智を感じ、うれしく感じたのを、いまでも思い出します。

そして、「わたしを生きる」。これが、わたしのテーマになりました。

それがどういうことかを明確にいま、感じています。

世間という幻想に無意識に合わせるのではなく、わたしの純粋なうれしい思いのままにあるということ。

それは肉体という表現もそう。

世間的に50代はこんな感じ(わたしも地球年齢では50代半ばですが)。世間的な成功はこんな感じ。そんな概念にはもう縛られる必要はないのです。

世間的な「天国」が来るのを待つのではなく。わたしは待ちません(笑)。わたしが、その状態にあることを、いま、体現します。

わたしのアマ(天の気/ありがとうの光)満ちる世界、いまここは常若の国・君が代なのですから。

世間的には、一般的には――、そんなしっくりこないことばに振り回されることなく(否定しているのではなく、そうした世界もあるということ。それも祝福です)、わたしのうれしい純粋な思いのままに生きる。

世間にとって苦しみが当たり前なのだとしたら、わたしにとっては、元のアマ(天)の気に満ちて歓喜(神性のフィーリング+喜び)が当たり前のことなのです。

元の気とは、元気なのです。健やかなのです。

なぜ自然に元気が出るのかというと、過去の古い自我の世界をどうにかしようとするのではなく、すべてを祝福しているのが、軽やかなありがとうの天(アマ)の気だからです。

あなたも、すべてを祝福されているとしたら――、どんな経験もあなたが祝福しているとき、自然に元気になるでしょう。

もう、わたしは無意識に、古い世界に同化することはないでしょう。もしも同化していたならば、その不自然さに気づき続けていくことでしょう。

そして、これからもさらにわたしの愛の光の宇宙は拡大し、この生を幸せに豊かに謳歌していくことでしょう。

わたし自身であることを。この、うれしく、たのしく、幸せで、豊かで、ラッキーで、純粋に大好きなものを受け取り表現している、ありがとう!の歓喜という愛(光)の花満開で。

あり得ない、うれしいことが本当に自然に起きてくる、この神の光の世界で。

「なんて素晴らしい世界!」

そう感じながら。すべてを自然に祝福しながら。これは、「あなたの人生が終わるときに、なんと言ってこの肉体を脱ぎますか?」。その質問にふと思わず湧いてきたことばです。あなたは、なんと言いますか? 死に様は、生き様そのものなのです。

あのとき――、

何を埋めれば、永遠に満たされますか? 

神様、どうか教えてください。神様じゃなくてもいいですよ。

でも、どうか嘘じゃなく、気休めじゃなく、本当の、本当のこと、微塵も嘘じゃないものを教えてください。お願いします。

きっと、きっと、お願いしますね。

そう願ったわたしの思いに応えてくれた、すべてに感謝を。

そして、これからも、わたしのうれしい思いに存分に応えてくれることに感謝を。

まだまだお話が足りないところはありますが、それはまた音声などでもシェアしていきたいと思っています。







「いろいろ話したけど

いのちって愛の光で 自然に輝いてるんだ 自然に歌ってるんだ 独自の音色でね

それがキミだよ

歓喜(よろこび)以外は ぜんぶうそ

神性(「わたし」=愛の光)の 素直なみこころのままに

最高に心地にいい人間のわたし自身を表現し

純粋に いまこの瞬間を楽しんでる ありがとうって

音楽って きらめき(ひらめき!)(ときめき!)の連続みたい

そんなふうに生きてみよう


つまりは これが自然で普通なんだ

愛であることも ありがとうの愛の光であることも 安らかでいることも すべてを祝福していることも ときめいていることも 奇跡も

キミが理想だと思っていた 目指していた「自分」もね

それが ありのままのキミだよ!

大袈裟なことじゃないんだ

これが新しい地球だよ 

そういうこと☆ うふふ☆

忘れないで ほんとの愛の光のキミを

キミのうれしい大好きなワールドを楽しんで!

いのちの花を咲かせて

このニューファンタスティックワールドで!☆

Good Feeling!!☆」

いま目覚めつつある、親愛なる光の仲間であるあなたに。すべての光とともに。







「ありがとう」



2022年9月9日一部文章改定 「太陽と月がゆくるとき、まったく新しき世に移行する」☀🌙産霊の神・元(?)ちんぴら天使/晏(あん)れい子


●プロフィール

晏れい子・あんれいこ ✿ 『ごあいさつの動画』はこちらをご覧ください ✿(うぴぃぷ!)
2008年生まれ(?)。『晏れい子』は本名ではなく、2006年に、カウンセラー名として、ふと思いついてつけたものです。苗字の『あん』の響きは、ある霊能力のある方が、「『あん』がいいんじゃない?」と。漢字は適当に検索して、これがいいかなーと思い、わたしがつけました。いまになって、この名をつけたのは偶然ではないと感じています。安らぎの中でときめく光の太陽。始まりであり、終わりである、ゼロの地にある。これがわたし自身だったのだと。いわゆる、マスター名です。マスターとは、自分自身を知る者です。

本名の『幸子(ゆきこ)』も、とても気に入っている名前です。わたしは、幸せの光そのものだからです。それでは、略歴を紹介しますね。

ある日、夢の中で目の前に光がフラッシュのようにパンパンッ現れ、「生きるとは、こんなにも簡単だったんだ…」と感動(安堵)したのち、2008年7月。電車にて移動中、意識(神性)と人間の仕組の図が浮かぶ。
その後、突然、歓びを強烈に10日間ほど体感した後、本当のわたし(神性)と低次の自我の違いに戸惑いながらも、統合を続ける。
2008年より「シアワセ塾」を運営。2011年4月「アライブ」に、2012年1月「Life」を、2012年4月「newlife,new self わたしを生きる」をテーマに掲げる。
現在は、新しいエネルギーに移行する光の仲間たちに向けて、愛とときめきのままに生きることをサポートしている。

人間的な経歴も少し。徳島県出身。短大卒業後、世界文化社(出版社)に入社(制作部)。約2年勤めたのち、自身で自由に取材できる編集プロダクションに移り、26歳よりフリーランスに。化粧品のコピーや旅行記まで、いろんな分野の仕事をする。
偶然、スピリチュアルな会社を運営する方と知り合い、自身もカウンセラーの仕事を平行して始める。
2008年の光の体験後、本格的に「わたしを生きる」ことをサポートする内容へとシフトする。

マヤ暦では(詳しくないのですが)、白の魔法使い/白い風。むかし、知人の何人かの能力者に「あなたは真っ白なの」と言われたことがありました。
趣味は、最近は社交ダンス。ジャズダンス、バレエなどなど、踊るのは大好きです。あと音楽も。小さい頃、ピアノを習ってたんですけど。発表会の曲「ユーモレスク」が発表会当日までまったく弾けず、舞台で「ごめんなさい」しようと思ったら――、当日、弾き始めた瞬間に突然何かが乗り移ったかのようにノリノリで弾けた経験があります。自分でも内心、驚きましたが。一番驚いたのは、先生じゃないでしょうか (笑)。
気が向いたら二胡もやってます(この二胡を弾いてる写真、6年くらい前でしょうか。写真といってもビデオからキャピチャーしたので粗いですが。太極拳も好きです。
動物は特に猫が好き。右の写真の猫は、わたしと約20年一緒にいた愛猫です。いつも背中と背中を合わせて、お互いの体温を感じながらピトッと寝ていました☆ 彼の遺髪に時々触れると、生きていたときのように温かいんです。愛がいっぱい☆ いまは光になって一緒にいます。基本、動物はなんでも大好きです。動物たちは、とても純粋です。特にペットとして現れる動物たちは、ヒーラーそのもの。天使たちです。爬虫類ではヤモリとかも、かわいいと思います。目が合うと、ヤモリは驚いた顔をしますね。カマキリとも仲良しだったことがあります。みんな表情豊かなんです。生命って、かわいいまんぼう! うぴぃぷ!☆


◎古いエネルギー・世界からの卒業(自由になるということ)

 人間の 生 死、輪廻転生からの卒業

 古い分離の夢からの卒業

 誰かの 世間の"真実"(信念体系)からの卒業

 家族・先祖の古い絆(肉体・精神の遺伝的カルマ)からの卒業

 過去世からの卒業

 こうじゃなきゃいけないといった人間性(性格)・性別(男・女)からの卒業

 占い師や他者からの預言、過去の経験に縛られた目標設定からの卒業

  説教・説得をするという行為からの卒業

 ハイアーセルフになろう、つながろうとする世界からの卒業

  ありとあらゆる宗教からの卒業

 スタイルに縛られた瞑想 何かにすがる祈りからの卒業

 すべての教え 説教 古いタイプの教師 グル 古い神の概念 教義 哲学からの卒業



 100%の信頼、疑いのない状態のとき

 豊かさ・健やかさ・美しさ、それは自然なあなた自身の表現になる

 わたしは、美と財と繁栄の神である


●「人間」という枠の中に生きているときは、信頼の状態、わたし自身であるという状態が明確に分からないため、無意識に外側の多くのものに「自分」を依存しています。「卒業」と表現したのは、「否定」ではなく。これらのゲーム(ドラマ)への必要性に埋没しているのが自我と同化している状態なのです。
●人間の、地球に近い領域のマインドに縛られているうちは、それらを楽しむことができないのです。
●多くの次元が一致し、神である人となるにつれ、そのすべては自然に手放していきます。「依存」から「調和」へと変化していきます。
●そして、さらに深い、広い領域へ意識を広げていくのです。
●リアルワールドへ。「魔術師」から、「世界」、 「アマテラストヨウケの世界」へ。



☆一目瞭然◎古いエネルギーと新しいエネルギーの違い

古いエネルギー/新しいエネルギー

説得する/自分の意見を言う(わたしはこう思う)

共依存(●●のせいにする)/サポートし合う(自立した愛の状態で思いやりからサポート)

準備中。ちょっとお待ちくださいね